父の終活②〜戦時中の出生から苦労を経て~

父の終活

<戦争中に始まった父の人生>
私の父は、第二次世界大戦の中、1943年に樺太(今のサハリン)で生まれました。
しかし、わずか2歳の時に、家族で住み慣れた場所を離れなければならなくなりました。

ロシア軍(当時のソ連軍)の侵攻が迫る中、祖母は、幼い父の手をぎゅっと握り、必死に逃げたそうです。
「本当に怖かったんだよ。たくさんの人が走って、命からがら北海道に向かう船に飛び乗ったんだよ」
祖母が話してくれたことが心に残っています。

<苦労の多かった北海道での生活>
ようやくたどりついた北海道でも、生活は決して楽ではありませんでした。
祖父は警察官で転勤が多く、父は何度も転校を経験しました。
さらに祖父母は家の中で言い争うことも多く、父は幼い頃からさまざまな苦労があったようです。

ある日、家族に大きな衝撃が走りました。
祖父が、家族とは違う道を選び、家を出て行ってしまったのです。
戦後の時代背景の中で、残された家族はいっそう貧しく、苦しい生活を余儀なくされました。
祖母は祖父を恨み、時には父たちの前で激しく祖父への不満をぶつけたり、荒れたりすることもありました。

はだしのまま深夜の雪の中をかけゆきぬ 父と争ひし母と一緒に
(父の短歌より)

父は4人兄妹の2番目で、兄1人、妹2人がいましたが、末っ子の妹は生まれつきダウン症という障がいを持っていました。
当時は障がいに対する偏見も多かったので、家族は妹のことをずっと隠していたそうです。

「俺は北海道が好きだけど、その時は寒くてつらいことがたくさんあったんだ」
父が話す言葉には深い悲しみがにじんでいました。

<正義感と優しさを貫いて>

そんな厳しい環境の中でも、父は心の優しい少年でした。
家では祖父がいなくなった代わりに力仕事を手伝ったり、捨てられた子犬の面倒を見てあげたりしていたそうです。
しかし、転校も多く家庭環境も複雑だった父は、学校で馬鹿にされたり、見下されたり、いじめられることもありました。

そんな中で父は、自分の正しさと優しさを貫いて生きました。
上京し、警察官を経て、後には小学校の先生になりましたが、
教師として差別や同和教育にも積極的に取り組み
「みんなが仲良く暮らせる社会」を目指して熱心に生徒たちを教え続ける「優しい熱血先生」となりました。

子供や動物が好きだった父

<御言葉との出会い>

長い人生の中で、多くの苦しみを経てきた父ですが、定年後に御言葉を学ぶようになりました。
その御言葉は、父の心に深く響いたようです。

「イエス様や、御言葉を教えてくださるチョンミョンソク先生の、
一人一人を大切にする姿や、分けへだてなく接する姿は、
自分がずっと大切にしてきたことと同じなんだ」

父はよくそのように話していました。

多くの苦労を乗り越えてきた父だからこそ、聖書の教えや先生の生き方に深く感じるものがあったのだと思います。

父が御言葉を学び始めたころに、チョンミョンソク先生に対する裁判の報道を見たこともありましたが、
「これは間違った報道だ。あのような生き方をしている先生がそのようなことをするわけないよ」
と、むしろ私たちや教会の人たちを励ましてくれました。

施設に入った祖母にも御言葉を伝えた
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