おっとり長女の夢
私は28歳で初めて教会に通うようになりましたが、それまでの道のりを考えると、まさに「世の波にもまれながら人生の道を探していた」ように感じます。
三姉妹の長女として、二人の妹たちが激しく戦う姿を尻目に、私はおっとり、のびのびと育ちました。
そんな私の幼いころからの夢は、幼稚園の先生かピアノの先生になることでした。
幼い頃から三姉妹揃ってピアノを習っていましたが、特に私はピアノが大好きで、レッスンの時間に大好きな先生に会えるのを楽しみにしていました。
高校生の時に、転機が訪れました。ある日、先生から声をかけていただき、ピアノ講師の見習いアシスタントとして、先生と一緒に生徒たちのレッスンに入れてもらえるようになったのです。
これが、私にとっての念願のピアノの先生への第一歩でした!
学校帰りにピアノ教室に通い、子供たちに教えるようになり、毎日がとても楽しかったです。
両親も私の夢を応援してくれて、さらにその先生の計らいでグランドピアノも安く譲っていただくことにもなりました。そして私の家でも補助レッスンをするようになり、さらに忙しくなりました。
高校卒業後は専門学校に通ってピアノの先生としての道を進もうと、熱心にがんばる毎日でした。

ある時、突然の転機
ところが、その後、状況は大きく一変するのです。
ある日、突然その先生が引っ越してしまい、連絡も取れなくなってしまったのです。
その後、高校生の私には想像もつかないような出来事が立て続けに起こりました。
それまで先生についていた生徒たちが、アシスタントだった私を頼って家に通うようになり、毎日のようにレッスンをする日々が始まりました。
そして、毎年恒例のピアノ発表会も私が進めるしかなくなり、高校生の私には負担がどんどん大きくなっていきました。
当然のことながら、ピアノの技術も経験も足りない私です。そこに初めて直面した「社会の壁」は厳しく立ちはだかりました。
生徒の親からは子供が上手にならないとクレームが来るし、レッスン中にはずっと親がそばでプレッシャーをかけてくることもありました。
学校との両立も難しくなり、精神的なストレスが増していきました。
それでも、子供たちの将来や親の夢を思い、高校卒業後もピアノの専門学校に通いながらレッスンを続けましたが、状況は良くならず、負担は大きくなるばかりでした。
夢と現実の狭間で
そのとき、私は心の中で「逃げたい」「もうこれ以上続けられない」と思いながらも、どうすることもできず、ただただその状況に向き合うしかありませんでした。誰かに代わってもらいたくても、そんな人はいません。
両親もどうして良いかわからず、ただ私を見守っていました。
あんなに楽しく喜んで教えていたピアノが、いつの間にか苦痛に感じられるようになっていました。
子供の頃からの夢が叶ったのに…
私は、人生初めての社会の壁にぶつかり、挫折を味わったのでした。
続く…。
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